2016年11月29日

ブレイブ 勇敢なる者 11月28日 えん罪弁護士 今村核

えん罪弁護士
弁護士・今村核
えん罪弁護士・今村核について事務所の同僚は「表面はとっつきにくい。しかし刑事弁護を一生懸命やるのは今村君だけ」、また別の同僚は「普通から見たら偏屈な感じ」と話す。普通は刑事事件の裁判で弁護士一生やって無罪が1件とれれば御の字だが、今村核は14件の無罪を取っている。

有楽町(東京)
えん罪弁護士
弁護士から頼りにされる弁護士
今村のもとには他の弁護士からの依頼が舞い込んでくる。無罪をとっている弁護士が少なく弁護士からも頼りにされている。今村が引き受けてきたのは世間ではあまり知られていない事件が多いが、かつて今村に助けを求めた羽鳥徹夫弁護士は「当時今村は9年目くらいだったが、その時点で4件の無罪をとっていた」と話す。


2000年3月2日 すし店放火事件
2000年3月2日に東京都内で発生したすし店放火事件。出火場所はすし店1階で原因は放火によるものと推定された。9ヶ月後の12月13日に店主のAは放火と詐欺の罪で起訴された。当時店主には借金があり、火災保険金で借金を返したという。警察は放火犯と疑い店主へ取り調べを行った。その際に別に連行されていた妻への取り調べがきつくなると言われ店主は「自分がやりました」と嘘の自白をしたという。その後は想像で自供する形になった。しかし弁護士から「やってないと話しても妻が逮捕されることはない」と言われ、それ以降は一貫して否認し続けた。




今村核は当時を振り返り「2階がもし出火場所ならもっと焼けていないといけない」と話した。火事翌日の消防署の判定では出火箇所はすし店1階となっており、最初の時点で矛盾が生じていた。しかし検察は2階を火元とする専門家による鑑定書を用意した。理由は2階床下のの梁の上部が下部より焼けていたからだという。今村は鑑定書を書いた検察側証人への反対尋問に臨んだ。その際に床板と梁の間に渡してあった根太という角材が写真に写っていたのに気づいた今村は、床板と梁の間に隙間が存在していたという点を挙げると検察側証人は絶句したという。

すし店放火事件 火災実験の開始
今村は1階が火元であることを証明する火災実験の準備を進めていた。裁判資金は被告人の店主には金がないため募金で行ったという。実際に火災現場と同じように梁と床板の間に根太を渡し、隙間をつくって実験を行ったところ、床板と梁の隙間から火が燃え広がり梁の上部だけが燃えるという結果になった。今村は「無罪が見えた瞬間」と話した。

2004年2月23日の一審判決で無罪が確定し、検察は控訴を断念した。今村は「3年半かかり他の民事事件とかかなり犠牲にした」と話し、経済的には成り立たないという。
えん罪弁護士

集団事務所の弁護士として
「もう少し事務所財政にも貢献する方法もある」という声もあり、今村核は「集団事務所に入ってて周りの人には悪いなと思っている」と漏らす。番組スタッフが「先生の専門は何か?」と質問するが今村核は「正直言うと、えん罪弁護士とは思われたくない。そう思われると他の事件の依頼が来なくなる」と答えた。同僚弁護士は経済的な面が理由から今村核のような生き方はできないと話した。

今村核の生い立ち
今村核の生い立ちを紹介。父親は大手化学企業の副社長で、今村は父親について「世の中の見方が大企業中心の見方で弱者に対してあまり視点がなかった。ものすごく嫌なやつに見えていた」と話し、大学進学後に今村は家から出て、それ以降家族と連絡を取らなくなったという。

弁護士になった理由
弁護士になった理由について今村核は「弱くさせられている人々とともに闘う職業を探したが弁護士ぐらいしか思いつかなかった」と話した。26歳で司法試験に合格し、修習生の時に刑事裁判をみた今村は「1人も無罪にならなかった。弁護人は弁護人であきらめているように感じた。この状況を変えてやるという気負った気持ちがあった」と話した。

挑み続けてきた有罪率99.9%の壁
今村核が弁護士になって10年過ぎたころに担当したある痴漢事件。一審、二審、最高裁でも負け被告は実刑になった。その頃にアルコールに染まり司法に対し諦めかかったという。今村は「被告人の心情は他の弁護士よりわかる。理由は自分も孤独だったから」と話した。

中学教諭のえん罪事件
2012年6月、今村のもとに27歳の中学教諭が助けを求めてやってきた。痴漢をした疑いで逮捕・起訴されたが無実を訴えていた。当初から弁護を担当していたのは池末彰郎弁護士。2011年12月にバスの車内で教諭が女子中学生の下半身を触ったとして逮捕された。当時バスの車内が混んでいたため教諭はリュックを腹側に抱えていた。池末弁護士によると「28日間勾留された。やってもいないけどやりましたと認める人が非常に多い。罰金を払って早く出ないと仕事も失うかもと考える人が多いため」と話した。
教諭の弁護を引き受けた今村。えん罪立証の決め手はバスの車載カメラとメール記録。車載カメラには21時34分26秒に女子生徒が痴漢を疑い教諭に向かって振り向いた記録があった。しかしその8秒前に教諭から教諭の彼女へメールが送信されていた。車載カメラでは教諭は21時33分03秒から34分23秒まで右手で携帯電話を操作する姿が確認できた。その間左手は吊革を握っていた。携帯操作をやめて女子生徒が振り返るまで3秒しかなく、今村は「右手説は崩れた。左手については女子生徒が吊革を握っていたと法廷で証言していた」と話した。
今村核は映像解析の専門家である橋本正次氏に鑑定を依頼。橋本氏は「女子生徒と教諭の間には空間が開いている。その間には教諭のかばんが入っている。そしてバスは揺れる。かばんが当たってすれている可能性が十分ある」と話した。34分15秒から5秒間バスが大きく揺れていることがわかった。逮捕から1年半が経った2013年5月8日の一審で教諭は有罪が言い渡された。判決理由は「右手での痴漢行為は不可能に近い。左手での痴漢行為は困難ではない」というものだった。しかし被害者も右手で痴漢されたと証言しており池末弁護士は「むちゃくちゃですよ」と振り返った。
裁判官の去り際に今村核は「よくわからない。バカな人だなあ」と呟いた。しかしそれを見ていたジャーナリストの池添徳明は事実を確認して記事にした。その後今村はショックで寝込んでしまったが、その記事は一気に拡散され「こんな判決は許されない」というコメントが多かった。「勇気づけられた」と話す今村は画像鑑定を静止画像にコントラストをつけて左手に絞った立証を行った。2014年7月15日、控訴審判決で教諭は無罪が言い渡された。検察は上告せず無罪が確定した。

実家
今村核が藤沢の実家へ。父親は定年後に弁護士になったという。母親の宙子さん曰く「7年ぐらいやった。収入と支出はトントンで儲けはゼロだった」と話した。今村核は父親について「違う道を選んだと思ったら親父が後ろからついて来ていた。別会社に天下るのを潔しとしなかった。実は自分を計算に入れず物事にとって一番いい方法を選択する習慣があった」と話した。


なぜ「えん罪弁護士」を続けるのか
「なぜえん罪弁護をやるのか」という質問に今村核は「司法に絶望してしまったら生きる理由がなくなる。あの事件を救わなきゃなと思うから生き続けていける」と話した。
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posted by 得笠野 哲太 at 02:52| 2016 特異な人 | 更新情報をチェックする