2016年11月28日

パッション屋良の今 トレーナー業で極貧脱出

 白い体操着で胸を叩く芸風がウケた、ピン芸人のパッション屋良さん(40)。ブレーク前も苦労したが、その後、ヒドい極貧生活に陥って……。

 お笑いは学生時代から好きだったけど、“人を笑わせてメシ食えるなんて、世の中そんなに甘くないよな”と思い、体育教師を目指して上京し、体育学部に入りました。でも、当時は芸人ブームが始まっていて、テレビつけるとネタ番組ばかりやってる。「やっぱりオレもやりたい!」と決意して芸人の事務所に入りました。ただ、売れなかった時のためにちゃんと卒業して、教員免許も取ってから(笑い)。

 バイト時代に苦労したのはメシです。まだ若いし、体育系だからご飯はすごく食べる。でも、お金がないから、お茶漬けの素ひとつでメシを3合食ったり。焼き肉屋でバイトした時は賄いで牛肉丼を好きなだけ食べて、アパートで食べる用に冷凍肉を持って帰ったり。同じ沖縄出身の彼女がいたんですけど、「たまには外食しようか!」と誘っても、お金を使わないため、レストランに行く前にコンビニのパンである程度、お腹を満たしてから店に入ってた。




 彼女とは沖縄にいたころからずっと付き合ってて、アパートは大家が住む家の隣の駐車場の上を増築した一間の部屋。大家さんが車を出し入れするたびガタガタ揺れて(笑い)。家賃は安かったけど、不安定な造りで、目の前の道路をトラックが通ると、テレビの上の物が全部倒れるくらい。

 彼女は勤め人で僕より収入がよくて。家賃は折半にしてたけど、僕がちょっとテレビに出始めた時は、貧乏なのにバイトもできず、時間も金もない。もうバイトするのも面倒くさいから、「俺のこと養ってくれる?」というのがプロポーズの言葉でした、ハハハ。それに彼女は「いいよ」と。05年だったかな。結婚指輪は渋谷で買った6000円の超安物。今も持ってますよ。

■体育教員免許を持っていて良かった
 ただ、その後はピン芸人としてテレビや営業で忙しくなって! 奥さんも喜んでくれたけど、数年後にはまた暇になっちゃって。子供が2人いたけど、預けられる施設が見当たらないから、奥さんは働けないし、5年前に「子供を育てやすい沖縄を拠点に活動しよう」と決め、2人で帰郷しました。

 地元の局で、自分でプロデュースしてバラエティー番組を作ったり、東京から芸人を呼んで広い会場でイベントやったりもしました。でも、イベントを手伝うと言ってきた人に金を使い込まれて……。まだ若かったからあまり考えずにデカいイベントも企画したけど、お客はあまり入らず、借金を背負いました。その時期は子供がまた2人生まれて、4人に増えちゃって! 一番キツい時期でした。

 すごい貧乏で、夫婦仲も悪くなり、僕はストレスでブクブクに太り、本当に地獄でしたね。それでも、頑張って体を引き締め、この1年ちょっとで20キロ痩せ、「もう一度頑張ろう!」と鍛え直し、スポーツのパーソナルトレーナーになりました。芸人になる前、体育教師の免許を取っておいたのもよかった。今はジムで若者から高齢者まで教えています。それで地道に借金を返してる。
posted by 得笠野 哲太 at 13:51| あの後どうなった? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする